ベルリン芸術大学(ドイツ)
李誠峻

私はベルリン芸術大学を第一志望の協定校にした理由が彫刻、インスタレーション、パフォーマンスといった様々なメディアを使用し、動物の特性と人間のジェンダーロールの関係を探求し、人間と動物との間の境界線を突破し、新たな芸術的価値と表現を創出することに挑戦したいと考えている。

美術の授業では、クラスでの展示や共同制作を通して、多面的な思考力を鍛えることができた。睡眠というテーマから始めて、私たちの周りのあらゆるものを発見し考えて、インスタレーションの作品を作った。クラスの集団パフォーマンスを通して、パフォーマンスアートの魅力も感じた。

交換留学中、アートやコミュニケーションの大切さをより深く感じた。授業展では、学内外の誰もが作品に質問したり、見学したり、批評したりすることができた。会期中、一部の方から展覧会タイトルに疑問を呈され、不快感を抱かれたが、最終的には対応した。アジアではこういうことはめったに起こらないような気がする。人々は黙って感謝したり批判したりする傾向があり、誰も否定的なことはない。それで、芸術に対する批判力や勇気が向上したと感じているし、芸術は自由だということを深く実感した。

帰国後、ベルリン芸術大学、ヨーロッパでの経験をまとめ、修士二年の研究と修了作品に取り組む。自然界における平和の形がニット表現における方法を見出し、ニットの魅力をテキスタイルの先端芸術と繋ぎ、個展を開催し、現代社会に問いかけたいと思っている。

私が日本から初めてベルリンに来たとき、最初の印象は非常に悪かった。街は醜く、極端に汚れていると感じた。例えば、ハッケシャー・マルクト駅や中央駅周辺では、時折、大麻や尿の臭いが漂っていた。なぜ、この非常に自由で開かれた都市で、こんなにも奇妙で、時にはショッキングな出来事が起こるのか、とても不思議に思った。
ベルリンと言えば、ベルリンの壁を思い出さずにはいられない。冷戦、分裂、そして最終的な平和的統一に至るまで、この国の矛盾から統一への道は非常に厳しい現実だった。

しかし、地図で見ると、この壁は曲がりくねっていて、まるで毛虫のように、あるいは壊れた昆虫の羽のように見える。それは東ベルリンと西ベルリンの境界を分けていた。その中央にはレンガで作られた壁があり、その左側の境界には鉄線や地雷などが設置され、壁を越えることが難しくなった。同じドイツ人でありながら、わずか一つの壁を挟んで、まるで異なる国に住んでいるかのような感覚を持ち、異なる身分や地位を感じていたのだ。

ベルリンの壁を越える人々は、梯子を使って挨拶をし、鉄のフェンスの隙間から愛人や家族にキスをしていた。人と人との距離は壁一つだけで、見た目には非常に近いようで、実際には千里の隔たりがあるように感じた。それは、非常にユニークな方法での挨拶の仕方だが、その背後には不条理さや理解できないものがあった。

また、ユダヤ博物館などの観光地では、地面に散らばる顔が可愛らしく見えるが、その数が多すぎて、遠くから見るとまるで戦場が終わったばかりのように見え、惨めで恐ろしい印象を受ける。ベルリンが奇妙に感じるのは、恐らくその歴史が持つ矛盾と対立しつつも統一されるという性質に深く関係しているのではないだろうか。

従って、ベルリンが好きな人が大好き、嫌いな人は大嫌い、その間の人がほぼいないと思う。