『この世には便利なものが溢れていて、私は便利なものが大好きだ。しかし何かを生み出す時、世界に必要なものが揃いすぎてふと楽しくない気持ちになる。 「便利・合理的」は生活空間ともとても密接だ。 このなんだか分からない生物たちは誰かに必要とされたのではなく、ただそこに佇んでいる。家という空間の中で一見馴染まない意味のない生物に「なに?」「なんでここに?」と尋ねたくなるだろう。この生き物と空間が見せる違和感が、便利に溢れた暮らしの中で人々をハッとさせる。そんな瞬間を「意味のない生物」が作り出したら、意味がないことも楽しいと感じられる。』
私は卒制に取り組むまで、自分自身を今までにないくらい見つめなおした。そのなかで、簡単な言葉を使って自分自身を表そうとする私に気づいた。例えば、「私はチャレンジ精神旺盛だ」などの言葉で自分を理解しようとする。そんな風に簡単に表現するうちに、何もかもが窮屈になって、私自身には何の意味もないのに“こうあるべきだ”と自分に言うような気がして嫌になった。そこで、何の意味もない生き物を肯定できるような作品を作るに至った。意味のないものは排除されがちな家の中で、彼らは大きな存在感をもって“意味のなさ”を体現してくれる。